『2点確保』の大原則

そもそも、2点確保とは?

安全確保のために、常に2点以上で、ロープユーザーの荷重を支えることです。万一、うち1点での確保が失われても、もう1点残っているので墜落しなくて大丈夫というわけです。

『2点確保』と『かぎかっこ』で表記するのは?

2点確保技術を安全確保の前提とした技術・・・という意味あいで、『2点確保』と表記します。『2点確保』技術・・・と表記する場合もあります。
ちなみに『2本確保』や『ライフライン』も同様です。

『2点確保』の大原則とは?

『2点確保』こそ、3次元ロープアクセス技術【SORAT】の、安全確保上の根幹をなすとの意味です。『2点確保』という単純な技術を継続さえすれば、安全確保は完璧です。

ライフライン

ライフラインは使わないのですか? 改正安衛則で使用が義務づけられてますよね。

はい。『調査・点検・検査』においては、【SORAT】技術なら、ライフラインは不要とされています。条文にある“経過措置”の項目に明記してあります。

ライフラインが“経過措置”ということは、一時的なものですね?

そうかもしれません。今のところは大丈夫なようです。時期が来て、義務づけられたら、もちろん従いますが、『2点確保』したうえでの、ライフライン使用・・・となります。面白いのは、条文に“経過措置”として、【SORAT】技術を前提とした“例外扱い”が設けられている点で、条文制作者が【SORAT】技術や『2点確保』を理解し、「おたくの技術のことはよく理解しているから、これからもますます励みなさい」と後押ししてくれているように感じます。

ビジネス@ロープアクセス

ロープアクセスが大評判ですね! そもそものきっかけは?

脱サラ独立してきぃすとんを起業。1991年だから30数年前。仕事を断るのが怖くて、何でも喜んで引き受けていたら、岩壁調査の電話がかかってきて、・・・が、そもそものはじまり。

起業されたのは岩盤崩落事故が続発した頃ですね?

層雲峡天城岩崩落事故1987年 越前海岸トンネル崩落事故1989年、豊浜トンネル崩落事故1996年、第二白糸トンネル崩落事故1997年ですね。豊浜・白糸は、今の道路防災総点検のきっかけとなった大事故でした。

ロープアクセスは、岩盤から始まったのですね。

ロッククライミング調査と名づけて、応用地質学会誌に広告をだしたりして。それを見て、高知大・地質・院卒の洞窟探検家の関さんがやってきて、SRTを導入して、ロープアクセス技術【SORAT】の原型ができました。

順風満帆でしたか?

経営的にはギリギリ低空飛行。そろそろダメかなと覚悟を決めたら、何とかしのげたり。おもしろいものです。

ロッククライミング調査を改名して、ロープアクセス調査に変えましたよね。

はい、そのあとで転機があって、笹子トンネル天井板落下事故2012年です。この事故をきっかけに、インフラ点検の重要性が認識され、例えば橋梁点検においては国交省のマニュアル『道路橋定期点検要領2014年』において「近接目視・直接観察」が必須とされました。さらに『高所・難所』においては、“ロープアクセス技術”を使用すればいいとの記載がされ、「ロープアクセスって何?」との問い合わせが、当方のロープアクセス技術協会に相次ぎました。

やっと、儲かりましたね?

借金も返せました。

安衛則が改正されましたよね。

はい、2016年ですね。ライフラインの使用が義務づけられました。同時に、『経過措置』ではあるものの、ロープアクセス技術【SORAT】においては、安全確保が完璧であるとの理由で、『調査・点検・検査』業務に限定したうえで、ライフラインを使わなくてもよいとのお墨付きをいただきました。

ドローンはビジネス的に脅威ですか?

ドローンは心強い仕事仲間です。ドローンでは無理な作業が、ロープアクセス技術の得意な作業、ドローンなしでは作業がこなせないです。

起業当時のエピソード

なぜ京都に本社が? 奈良県出身・在住ですよね?

実は本社は奈良県で、本拠地が京都です。それはそうと、京都が本拠地なのは、創業時のスタッフが皆、京都に住んでいたので、仕事場も京都に・・・。

創業時の皆さんは、もうおられないのですか?

㈲地球屋の近藤さん・通称こまちさん、山岳写真家の梶山正さん(奥様は亡くなられた、ベニシアさん)、国際山岳ガイド・ブルークリフの滝本さん、彼の弟分・クライミングジム・ルカラガーム経営の黒住樹人さん、山林王の末裔・土倉大明さん、クライマー宮川さん・後藤さん、天才肌職人・クライマー楠田さん、個性派ぞろいのそうそうたるメンバーでした。

皆さん、クライマーたちですね!?

そこへ、高知大から洞窟探検家の関治さんが洞窟探検技術SRTを持ち込んで、数年かけて、3次元ロープアクセス技術【SORAT】の原型が出来上がったのです。

そもそもの始まりは、偶然の鉢合わせとか?

きぃすとん設立当時、岩壁での仕事を引き受けてしまって、どうしたものかと思案しながらJR大阪駅半地下のギャレとかいうおしゃれなお店が集まった奥のトイレがきれいなので、当時よく利用していて、入ろうとしたら、出てきた大男とぶつかりそうになって見上げたら、旧知のクライマー土倉さん。あれがなかったら、いまのきぃすとんはなかったかも。おもしろいものですよね。